おかみのなげき

本間農園の自宅は湧き水を生活水として使っています。大体半年前の水が湧いてきているようです。極端に降水量が少ない月などがあると、湧き水の水量が生活水の量として足りないことや、かれてしまうこととかも過去何度かありました。

2009年9月25日運動会という一大イベントの前日、しかも壱岐から祖父母も出てきてくれて人数が増えているときに水がちょろちょろとしか出ない。

しかも、やぎが柵を再びぶちやぶって脱走し、1時間ぐらいかけてとりあえず小屋にもどした後の水騒動。日も沈み、あたりは暗いので水源に問題があるのか、水源を引いているパイプに原因があるのかさえ調べられない。

今ある水量で、最低限でやるしかない。

疲れて、泣きたい気持ちになる。

以前なら、水の心配などしない暮らしがこいしかった。何で、北の国からであるまいし、今時代にこんな苦労をしなくちゃいけないの・・・といきどおりをかくせなかった。

今でも、そんなことをふっと思いはするけど、じゃあ町の暮らしのように水道をひねれば水がいつでも当たり前のように出る暮らしが本当にいいのか?と考えればそれもまた疑問が残るようになった。

それは子どもたちを見ていて。子どもたちは、水1つをとってもココの暮らしは自然の懐の中にある。そのことを肌で感じている。この文明社会の中で、いのししのいぶきを感じたり、集中豪雨に自然の脅威を感じ、畑の作物に恵みを感じる。畏敬の念が私たち人間も自然の一部なんだと、当たり前のことを感じる。

おかみの苦労は必要なのだろうか。いや、これは苦労と呼ぶべきかいなや???

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